真面目であれ
男は真面目でいい。誠実な人の方がいいに決まっている。
真面目な人はつまらないと言われるが、真面目がつまらないという人は何かを勘違いしているのではないだろうか。「真面目に勝る人格は無いのに」それをつまらないという。真面目な人をつまらないと言う人は、己自身の成長過程に何らかの欲求不満がある証拠。つまり成長過程で何かの障害があり、ちゃんと成長できなかったのだろう。真面目な人をつまらないという人は、精神年齢が幼児期や少年期のままで成長していないということになる。心が少年のロマンや少女の乙女のままでいる。少年や乙女だから、悪いもの刺激され、悪いものに興味を持ち、悪いものに憧れるのだろう。
ワイルドがかっこいいという。ワイルドは人間のくずなのに、それをかっこいいと言っているようでは真面目な人(つまり大人)から見れば狂っているとしか思えない。スギちゃんみたいに「ワイルドだぜ」とジョークいっているうちは可愛いが、ワイルドが本気で好きになるようでは、人間おしまいである。
非行や不良に走り、不貞を繰り返す、自分さえ良ければ他人なんかどうでもいい。人に迷惑がかかろうと自分は好きなように生きたい。ほらほら反抗期の子供と一緒ではないか、破滅型の人生を歩んでいるしか思えない。あなたはもう子供ではない、二十歳を過ぎた大人、いつまで反抗期にいる?
真面目は確かにつまらない。
遊び心があまりなく融通が効かないところもある。とても頑固で、頭が固いところもある。真面目な人と付き合うと、努力と忍耐が強いられる。だから真面目はつまらないというのだろう。バカだな、真面目人の努力と忍耐は見習うことが多いのに、それをつまらないと酷評しているようでは、この先ロクな人間にならない。真面目な人から学ぶことは多い。つまらない中に豊かさがある、それをつまらないと言っている人は大切なものを見落としているに過ぎない。
真面目な人の真似は不良少年や不良少女にはできない。やってみろといっても、できない。できないから「真面目はつまらない」と言葉だけの屁理屈を言うしかない。言葉だけをいうのは簡単さ、「真面目はつまらない」とね。言葉で発するのは誰にもできる。では言葉ではなく、真面目な人の行動を真似できるかというと、口先だけの根性のない人にはできない。真似ができないから不誠実な非行の世界に入っていくしかない。そしてこの先は破滅に向かう人生しか待っていない。不誠実に生きたら不誠実の結果が待っているだけ。誠実に生きたら誠実の結果が待っている。ただそれだけ。世の中はそう廻っている。
君が真面目でないから成功していないのである。
君が真面目でないから苦境に立たされているのである。
君が真面目でないから運が悪いのである。
「僕は真面目に頑張っている、だけど運が悪いのはなぜだ」と君が言ったとする。「うそだ!君は真面目に生きていない」としかいいようがない。何故なら本気の真面目は運を良くするからだ。運が良くならないのは、どこか不誠実だからだ。暗いネガティブの闇に長くいるからだ。真面目な人は、傍からみてつまらなさそうに見えるが、実はポジティブに今日やることを淡々とこなしている。他人には見えない陰徳の作業でコツコツ~コツコツ努力している。つまらないくらい、遊びがないくらい、コツコツ~コツコツ努力している。何年も何十年もコツコツ~コツコツ努力している。三日坊主がちょっと頑張ったくらいで、報われないなんて屁みたいなことは言わないこと。報われなければ、今から真面目になれ。そしてコツコツ~コツコツ努力しろ。そうすれば運は良くなる。僕は頑張っているけど報われないなんて、もうそろそろそんな言葉に頼るな、屁理屈だけで苦境を乗り越えようとするな。歯を食いしばって真面目に働け、そうすれば運は良くなる。